【田舎の闇】田舎からわざわざ下北沢の美容室に通う私が田舎の無個性製造システムについてまとめる

こんにちは。うぐいすです。

田んぼ畑だらけのど田舎に住んでいる私ですが、髪の毛をカットするところだけは一丁前に下北沢まで行っています。

服装にお堅い金融業界に身を属しているため、個性的なヘアースタイルにはできませんが、下北沢に通っています。

なぜわざわざ下北沢まで髪の毛をカットしに行っているかというと単純に高校の同級生が下北沢の美容室で働いているからです。

カット代を友達だから割引してもらうことはできますが、交通費含めれば、結局高くつきます。

しかし、私が下北沢までわざわざ通っているのはそれだけが理由ではありません。

スポンサーリンク

田舎の無個性加減に慣れてしまうのがイヤ

やはり田舎には都会のような刺激はありません。

先進的な建物が建っているもイベントが開催されるのも個性的な人が集まっているのもやっぱり都会です。

田舎には全てありません。建っているのはボロボロの空き家で行われるイベントは地元のこじんまりしたお祭り、歩いているのは農作業着を着たおじいちゃんやおばあちゃんくらい、たまに性別もわからないくらいです。

そんな閉鎖的な田舎に染まらないために定期的に刺激的な都会に出かける口実として下北沢の美容室が存在しています。

なぜ田舎はこんなにも無個性なのか

世の中にはいろんな人がいて、それぞれ自分なりの考えを持ち行動しています。着る服も行動も興味があることもその人の意思次第で決めることができます。

みんな違ってみんな個性的であっていいはずなのになぜ都会には個性的な人がたくさんいて、田舎には集まらないのでしょうか。その理由を今回はまとめていきます。

個性を発揮する場所がない

もし私が自分なりのこだわりで着たい服を着るとします。

もちろんお気に入りの服を着れればそれで満足って人もいるでしょうが、やっぱり着る服も自分の個性としてそれなりに人に見せたいですよね。

だってその服がかっこいいと思って着ているんだから。

しかし田舎にはおしゃれな服を披露する場所がありません。下北沢も原宿も中目黒も何もないんです。あるのは寂れた商店街くらいなものです。

必然的にお気に入りの服も披露する場所がないので着る機会がなくなります。

服だけでなく自分の描いた絵画も練習した歌もダンスもまるで披露する場所がない。

披露できたとして公民館とかその程度でしょう。公民館で披露したところで見に来るのは暇なお年寄りくらいですが。

個性が異端とされる風習が未だに根付いている

安定で普通が1番が良しとされる田舎では他の大勢多数と違う人は必ず叩かれます。

特にお年寄りはみんながみんな自分と同じ志向を持っていると考えています。

自分と同じ考えを持ち、自分と同じ生活が正解だと盲信するお年寄りを前にしては若者が発揮する個性は評価されません。

田舎で評価されるのは”当たり障りのない普通の生活をする人”でしかありません。

この絶対的な壁を前にするとせっかく磨かれた鋭い個性の牙も丸く削られて行ってしまい次第に普通の人に成り下がってしまいます。

必然的に個性的な人材が出て行ってしまう

個性を発揮する場所がない。

個性的な思想を持つ人は叩かれる。

このように自然に個性を追い出すシステムが出来上がっている田舎にいる意味なんてこれから輝かしいキャリアを積むであろう人が滞在し続ける意味がないんです。

個性を発揮する環境の整っている都会に上京しない理由がありません。

これでは田舎の過疎化が進むばかりですね。

ぜひ田舎改革を進める田舎スティーブ・ジョブズ的な人カモン。


スポンサーリンク
レクタングル(大)広告
レクタングル(大)広告

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告